「理論を知らないのと、知っていて使わないのとでは、大きな違いがあります」
作曲家として独り立ちしていく上で、私の「軸」となったのが、和声学の権威で、国立音楽大学作曲学科(東京)の島岡譲教授(87)(現在は名誉教授)の指導でした。
私は3歳から音楽教室で学び、小学生になると作曲も始めていました。自己流だったので、クラシック音楽の理論を学ぶべきだと思い、国立音大に進学しました。
先生は当時50歳代。ふだんは温和な方でしたが、指導となると、厳しく、熱心でした。提出した課題曲を添削し、書き直しを求める。次の授業でまた書き直し、追加の課題も出す。毎日、深夜まで勉強しないと間に合わず、通常の授業では足りなくなりました。そうしたら先生は、早朝や夜に補習をしてくださったのです。
先生は「理論を知らないのと、知っていて使わないのとでは、大きな違いがあります」と、繰り返しおっしゃっていた。先生が学生の作品を手直ししてピアノで弾くと、ため息がでるほど美しい音楽になる。自己流との大きな隔たりに、基礎の大切さを痛感しました。
先生は理論一辺倒でもなくて「音楽は聴いて良ければよいのだ」ともおっしゃっていた。音楽理論からちょっと外した曲をつくって出すと先生は「理論からは外れているが、僕は好きだ」と言って、譜面に合格のサインとして丸で囲んだ「島」を書いてくれました。
音楽理論を身に着けると、そこから外れた面白さがわかるようになりました。中心の軸がしっかりあるから、安心して挑戦できる。自分の軸をしっかりつくることの大切さを、先生は教えてくれました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/interview/teacher/20131115-OYT8T00749.htm?cx_thumbnail=04&from=yolsp
「そういえば、本気じゃない練習は無駄だとも言われるよね。」
・野球の試合を観ていて、よく言ったりするものだ、
「一度、ホームランってやつを打ってみたいな」と。
ぼくも言ったことがあるし、そう思ったのは事実だ。
嘘をついているわけじゃない。
ホームランでも、サッカーのゴールでも、
ナンパでも、金もうけでも、なにかの悪ふざけでも、
「一度やってみたいと思ってるんだよ」と、
ほんとうによく、人は言います。
くり返すようですが、嘘を言ってるわけでもない。
ただ、本気じゃないのです。
ぼくも、「ホームランになりたい」という
詩を書いたことはあるけれど、そっちは本気でした。
しかし、「ホームランを打ってみたい」は本気じゃない。
いまだに、どこかの球場のスタンドに
打球を放り込んだことはないし、
それをするために、練習をしたことさえもない。
そのくせ、「一度、ホームランを打ってみたいね」とか、
平然と人前でしゃべったりしているわけです。
なんだろう、嘘じゃないけど本気じゃないことって。
お囃子みたいなものでしょうか。
天候のあいさつみたいなものなのでしょうか。
幼稚園児の結婚の約束のようなものでしょうか。
「一度やってみたいと思ってる」ことを、
本気でやろうとしている人は、
昨日も今日も、そのためのなにかをやっているんです。
いや、身も蓋もない言い方ですが、
ホームランでもナンパでも、
実際にやってる人間は、本気なんですよね。
そして、夢のように夢を語るだいたいの人は、
本気じゃなくて、いつか忘れちゃうんです。
ホームランを打てないかもしれないことに、
挫折もしないだろうし、敗けを認める必要もない。
うまくいかなくて謝ったりするようなこともない。
だって、本気じゃないんだから、忘れるだけなんです。
現場と本気に対して、本気じゃない者は謙虚であれ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
そういえば、本気じゃない練習は無駄だとも言われるよね。
http://www.1101.com/home.html
「一度、ホームランってやつを打ってみたいな」と。
ぼくも言ったことがあるし、そう思ったのは事実だ。
嘘をついているわけじゃない。
ホームランでも、サッカーのゴールでも、
ナンパでも、金もうけでも、なにかの悪ふざけでも、
「一度やってみたいと思ってるんだよ」と、
ほんとうによく、人は言います。
くり返すようですが、嘘を言ってるわけでもない。
ただ、本気じゃないのです。
ぼくも、「ホームランになりたい」という
詩を書いたことはあるけれど、そっちは本気でした。
しかし、「ホームランを打ってみたい」は本気じゃない。
いまだに、どこかの球場のスタンドに
打球を放り込んだことはないし、
それをするために、練習をしたことさえもない。
そのくせ、「一度、ホームランを打ってみたいね」とか、
平然と人前でしゃべったりしているわけです。
なんだろう、嘘じゃないけど本気じゃないことって。
お囃子みたいなものでしょうか。
天候のあいさつみたいなものなのでしょうか。
幼稚園児の結婚の約束のようなものでしょうか。
「一度やってみたいと思ってる」ことを、
本気でやろうとしている人は、
昨日も今日も、そのためのなにかをやっているんです。
いや、身も蓋もない言い方ですが、
ホームランでもナンパでも、
実際にやってる人間は、本気なんですよね。
そして、夢のように夢を語るだいたいの人は、
本気じゃなくて、いつか忘れちゃうんです。
ホームランを打てないかもしれないことに、
挫折もしないだろうし、敗けを認める必要もない。
うまくいかなくて謝ったりするようなこともない。
だって、本気じゃないんだから、忘れるだけなんです。
現場と本気に対して、本気じゃない者は謙虚であれ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
そういえば、本気じゃない練習は無駄だとも言われるよね。
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「ぼくには、とりたてて不幸がない」
いまにして思えば、なにを考えていたんだか、
「ぼくには、とりたてて不幸がない」
ということを、じぶんの弱みだと思ってる時代があった。
それは、同時に、
「ぼくには、とりたてて誇れるものがない」
ということを意味しているのもわかっていた。
どっちつかず。
中間のところにいて、目立たない。
ふつうである。
平凡である。
なまぬるい。
‥‥そういうことにコンプレックスを持っていた。
平板で、山も谷もなく、危険もなく、劇的でないのだ。
他の人が見て、気の毒でもなく、うらやましくもない。
そのことに耐えられないとか、思っていた。
いや、正直にいえば、それをテーマとして発見していた。
ふつうすぎて、訴えたいことなんて見つからない。
つまり、テーマなんか持ってない不安が、テーマだ。
そういうことを、漠然と考えていた時代があった。
誰のことでもない、ぼく自身のことだ。
いま、そのころのじぶんに会ったとする。
そしたら、ぼくはなにを言うだろうか。
「めんどくさいやつだ、でもじぶんだからしかたない」
そういう思いから、はじまるのかな。
「じぶんでやったことが、なにもないんだから、
なにもないと感じるのは、あたりまえのことだよ」
と、ほんとうのことを言ってやっても、
理解してもらえないような気がする。
「ふつうで平凡なりに、なにがやりたいの?」
と質問しても、ごちゃごちゃ理屈を言いそうだ。
ああ、じぶんのことながら腹が立つけれど、我慢する。
「どうやって、食っていく?」
そこからしかはじまらないような気がする。
あるいは、家族を「どうやって食わせていく?」。
若いぼくからしたら、いちばんいやな質問だったろうな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんばかり見つめていても、じぶんは見えませんでした。
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「ぼくには、とりたてて不幸がない」
ということを、じぶんの弱みだと思ってる時代があった。
それは、同時に、
「ぼくには、とりたてて誇れるものがない」
ということを意味しているのもわかっていた。
どっちつかず。
中間のところにいて、目立たない。
ふつうである。
平凡である。
なまぬるい。
‥‥そういうことにコンプレックスを持っていた。
平板で、山も谷もなく、危険もなく、劇的でないのだ。
他の人が見て、気の毒でもなく、うらやましくもない。
そのことに耐えられないとか、思っていた。
いや、正直にいえば、それをテーマとして発見していた。
ふつうすぎて、訴えたいことなんて見つからない。
つまり、テーマなんか持ってない不安が、テーマだ。
そういうことを、漠然と考えていた時代があった。
誰のことでもない、ぼく自身のことだ。
いま、そのころのじぶんに会ったとする。
そしたら、ぼくはなにを言うだろうか。
「めんどくさいやつだ、でもじぶんだからしかたない」
そういう思いから、はじまるのかな。
「じぶんでやったことが、なにもないんだから、
なにもないと感じるのは、あたりまえのことだよ」
と、ほんとうのことを言ってやっても、
理解してもらえないような気がする。
「ふつうで平凡なりに、なにがやりたいの?」
と質問しても、ごちゃごちゃ理屈を言いそうだ。
ああ、じぶんのことながら腹が立つけれど、我慢する。
「どうやって、食っていく?」
そこからしかはじまらないような気がする。
あるいは、家族を「どうやって食わせていく?」。
若いぼくからしたら、いちばんいやな質問だったろうな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんばかり見つめていても、じぶんは見えませんでした。
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「ぜんぶは無理だ」
ずっと前から、じぶんに言い聞かせているのですが、
まだまだ身にしみてわかってないことがあります。
それは、「ぜんぶは無理だ」っていうことです。
やりたいことが、いろいろあるのはいい。
頼まれることがいっぱいあるのも、よかろう。
知っておくべきこと、まだ山のようにあるだろうよ。
できなくて恥ずかしい思いをすることもあるし、
得意なことはもっと上手になりたくて、
誰かの力になれたらいいなとも思うし、
健康も保っていたいし、
あちこち旅して見て回りたいし、
ゆっくりからだも休めたいし、
おいしいものも食べたいし、
おしゃれもしたいし笑っていたい。
そんなにいっぱいのこと、できるわけない。
「ぜんぶは無理だ」って当たり前のことなのに、
できている一つ二つのことよりも、
やれてないことのほうを勘定してしまう。
ぼくには、そんなところがあって、
だからいつでも落ち着けなくて、
しかも宿題に追われてるような気分が抜けない。
ほっとけば、そういう感じなのです。
だから、理屈として「ぜんぶは無理だ」と言ってやります。
それでも、スッキリそういうふうには思えてない。
上手に「ぜんぶは無理だ」を実践できてる人もいます。
でも、ぼくはまだまだまだまだハンパです。
他人にも、じぶんにもキッパリと、
有限の実力と時間についてわからせてやらないとね。
そうなんだよなぁ、
永遠に生きられるようなつもりでいるから、
山のように積み上げたやりきれっこない課題を、
あきらめないで積んだままにしておけるんでしょうね。
まずは「ぜんぶは無理だ」、そして、順番をつけること、
決めちゃったらその順番で取り組むこと。
堂々と、自信家のようにふるまい、
じぶんで決めた順番にしたがって平然と休むこと。
簡単だけど、できてなかったことなんだよなぁ。
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まだまだ身にしみてわかってないことがあります。
それは、「ぜんぶは無理だ」っていうことです。
やりたいことが、いろいろあるのはいい。
頼まれることがいっぱいあるのも、よかろう。
知っておくべきこと、まだ山のようにあるだろうよ。
できなくて恥ずかしい思いをすることもあるし、
得意なことはもっと上手になりたくて、
誰かの力になれたらいいなとも思うし、
健康も保っていたいし、
あちこち旅して見て回りたいし、
ゆっくりからだも休めたいし、
おいしいものも食べたいし、
おしゃれもしたいし笑っていたい。
そんなにいっぱいのこと、できるわけない。
「ぜんぶは無理だ」って当たり前のことなのに、
できている一つ二つのことよりも、
やれてないことのほうを勘定してしまう。
ぼくには、そんなところがあって、
だからいつでも落ち着けなくて、
しかも宿題に追われてるような気分が抜けない。
ほっとけば、そういう感じなのです。
だから、理屈として「ぜんぶは無理だ」と言ってやります。
それでも、スッキリそういうふうには思えてない。
上手に「ぜんぶは無理だ」を実践できてる人もいます。
でも、ぼくはまだまだまだまだハンパです。
他人にも、じぶんにもキッパリと、
有限の実力と時間についてわからせてやらないとね。
そうなんだよなぁ、
永遠に生きられるようなつもりでいるから、
山のように積み上げたやりきれっこない課題を、
あきらめないで積んだままにしておけるんでしょうね。
まずは「ぜんぶは無理だ」、そして、順番をつけること、
決めちゃったらその順番で取り組むこと。
堂々と、自信家のようにふるまい、
じぶんで決めた順番にしたがって平然と休むこと。
簡単だけど、できてなかったことなんだよなぁ。
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クリシェ。
以下、コピペ↓
1月3日と4日の2日に渡って、NHK Eテレで「亀田音楽専門学校 J-POPの魅力に迫る」が放送された。昨年解散した東京事変の名ベーシストとして、さらには数々のJ-POPのヒット曲のプロデューサー/アレンジャーとして有名な亀田誠治さんが、J-POPのヒット曲の秘密を解説した番組だったのだが、大変面白かった。
1月3日の1限目は「泣ける歌 胸キュンコード学」と題して、コード進行からヒット曲の技法を解説した。キーワードは「クリシェ」。
クリシェとはコード進行の中で1音を半音ずつ上昇または下降させる技法だ。例えば、C→CM7→C7→C6というコード進行では、C、B、B♭、A(以上、単音)と半音ずつ下降する音があり、最後のA(単音)が「行き場を探す」状態になり、これが歌を泣かせる要素になるという。この半音ずつ下降する音以外はCEG(ドミソ)の共通するコードとなり、C(コード)の安定状態からC6のAの不安定な状態を作り出し、これが次に展開されるD(コード)のD(単音)の安定状態で落ち着くことになる。番組では、これを「音符同士が恋をする」という言い方をしていた。
例として出されたドリカムの「Love Love Love」では、「ねぇ、どうして〜」と歌われる部分のコードにおいて、同じく半音ずつ下がるクリシェが使われていることを紹介していた。
ゲスト講師で参加していた平井堅さんが紹介したJ-POPは次の3曲。
1限目の最後に紹介された曲は松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」。この曲は「クリシェ三昧」と言えるほど、クリシェが使われている。ルート(根音)が下降するクリシェで、自然とその対位になる形でメロディ(主旋律)が上昇する。作曲者は呉田軽穂さん、ユーミンだ。さすが。
1限目はこの「瞳はダイアモンド」を平井堅さんが歌い、亀田誠治さんがベースを弾くという贅沢な生演奏で終わった(アレンジも亀田誠治さん)。
1月4日に行われた2限目は「泣ける歌 メラメラのメロディ学」と題し、「メラメラ=情念」をテーマに解説が行われた。キーワードは「リフレイン」。
まず取り上げられたのが、小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」。「あのひあのときあのばしょできみにあわなかったら」の部分は同じメロディを繰り返している。これがリフレインだ。ベートーヴェンの運命などでも使わているようにクラシカルな手法だという。
この繰り返しの後に続くメロディと合わせて、せき止めていたものを吐き出すような強い効果があるという。番組では「人に気持ちを伝えるには繰り返し言うでしょう」という説明もされていた。
サザンの「真夏の果実」も同じくリフレインを効果的に使った楽曲だ。「ラブストーリーは突然に」が小さな箇所を繰り返していたのと比べて、こちらの「真夏の果実」は大きな箇所を繰り返している。
平井堅さんが紹介したのは、次の3曲。
2限目の最後は平井堅さんや亀田誠治さんの生演奏で、平井堅さんの「告白」。この「告白」もリフレインを用いたものであり、「わかれうた」のように一音一音をしっかりと音符に載せたものとなっている。
ー*ー*ー*ー*ー*ー
わずか30分ずつの番組であったが大変濃い内容のものであった。言葉ではなかなか伝わらないと思うので、もし再放送があったら是非見て欲しい。お勧め。
引用→
http://takuyaoikawa.blogspot.jp/2013/01/blog-post_7.html
1月3日と4日の2日に渡って、NHK Eテレで「亀田音楽専門学校 J-POPの魅力に迫る」が放送された。昨年解散した東京事変の名ベーシストとして、さらには数々のJ-POPのヒット曲のプロデューサー/アレンジャーとして有名な亀田誠治さんが、J-POPのヒット曲の秘密を解説した番組だったのだが、大変面白かった。
1月3日の1限目は「泣ける歌 胸キュンコード学」と題して、コード進行からヒット曲の技法を解説した。キーワードは「クリシェ」。
クリシェとはコード進行の中で1音を半音ずつ上昇または下降させる技法だ。例えば、C→CM7→C7→C6というコード進行では、C、B、B♭、A(以上、単音)と半音ずつ下降する音があり、最後のA(単音)が「行き場を探す」状態になり、これが歌を泣かせる要素になるという。この半音ずつ下降する音以外はCEG(ドミソ)の共通するコードとなり、C(コード)の安定状態からC6のAの不安定な状態を作り出し、これが次に展開されるD(コード)のD(単音)の安定状態で落ち着くことになる。番組では、これを「音符同士が恋をする」という言い方をしていた。
例として出されたドリカムの「Love Love Love」では、「ねぇ、どうして〜」と歌われる部分のコードにおいて、同じく半音ずつ下がるクリシェが使われていることを紹介していた。
ゲスト講師で参加していた平井堅さんが紹介したJ-POPは次の3曲。
- 時の過ぎゆくままに(沢田研二)
- カブトムシ(aiko)
- Innocent World(Mr. Children)
いずれもクリシェが用いられた楽曲だ。
「時の過ぎゆくままに」では「ときのすぎゆくままに」の「ままに」の不安定さが、「カブトムシ」では「あなたのみみによせた〜」の「あなたのみみに」の不安定な部分が、クリシェを使った箇所である。いずれも、その後の安定状態を導くための「音の待ち合わせ」場所である。
一方、「Innocent World」でのクリシェの使い方は「サビへのジャンプ台」だ。サビ直前の「Mr.Myself」の部分のメロディはコード進行で言うとG#7→Aと移る部分であり、この部分は無くてもサビ前からサビまではつながる。実際、番組でこのクリシェ部分を抜きにして、平井堅さんが歌ってみていたが、つながることはつながるのであるが、なんとも盛り上がりに欠ける。つまり、この部分のクリシェの存在はサビに向けて不安定から安定を作り出すために必要な部分だ。
同じように「サビへのジャンプ台」としてクリシェを使っているのが、平井堅さん自身の「瞳をとじて」だ。サビ直前に「Your Love Forever」と歌いあげる部分があるが、これは最初は無かったそうだ(平井堅さん談)。盛り上がりを作り出すために、クリシェを挿入し、今の形になったという。ここのコード進行はG7→G7/B→A♭M7。番組では、この最後の「A♭M7」を「涙ためコード」と呼んでいた。
1限目の最後に紹介された曲は松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」。この曲は「クリシェ三昧」と言えるほど、クリシェが使われている。ルート(根音)が下降するクリシェで、自然とその対位になる形でメロディ(主旋律)が上昇する。作曲者は呉田軽穂さん、ユーミンだ。さすが。
1限目はこの「瞳はダイアモンド」を平井堅さんが歌い、亀田誠治さんがベースを弾くという贅沢な生演奏で終わった(アレンジも亀田誠治さん)。
1月4日に行われた2限目は「泣ける歌 メラメラのメロディ学」と題し、「メラメラ=情念」をテーマに解説が行われた。キーワードは「リフレイン」。
まず取り上げられたのが、小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」。「あのひあのときあのばしょできみにあわなかったら」の部分は同じメロディを繰り返している。これがリフレインだ。ベートーヴェンの運命などでも使わているようにクラシカルな手法だという。
この繰り返しの後に続くメロディと合わせて、せき止めていたものを吐き出すような強い効果があるという。番組では「人に気持ちを伝えるには繰り返し言うでしょう」という説明もされていた。
サザンの「真夏の果実」も同じくリフレインを効果的に使った楽曲だ。「ラブストーリーは突然に」が小さな箇所を繰り返していたのと比べて、こちらの「真夏の果実」は大きな箇所を繰り返している。
平井堅さんが紹介したのは、次の3曲。
- 本能(椎名林檎)
- Automatic(宇多田ヒカル)
- お久しぶりね(小柳ルミ子)
平井堅さんいわく、「メラメラというのには演歌的なものを感じる」。マイナーキーで歌い上げるものであり、歌唱法としてもビブラートなどを効果的に用いることが多いという。宇多田ヒカルさんの曲も声が特徴的だ。昭和歌謡のようなものが好きだという平井堅さんは小柳ルミ子さんの「お久しぶりね」の桜の花びらがひらひらと舞い落ちるような歌い方に憧れたと言っていた。
「メラメラ=情念」と言ったら、この人でしょうと言って紹介されたのが、中島みゆきさん。それも「わかれうた」が例に出された。この曲はリフレインとともに、「音符1つ1つに言葉をはめている」のが特徴的だという。「短く、等間隔」に言葉が音符に載せられる。これにより「縦」のノリが作られる。人は強調したいときに「だ・か・ら」とか「はっきりいって」(この2つとも本当は「傍点」を入れたい)のように、一音一音を区切って発音する。これと同じような効果があるという。番組では、同じ中島みゆきさんの「時代」が横に流れるような歌になっているのと比較していた。「時代」をわざとスタッカートで平井堅さんに歌ってもらうなどもして、わかりやすく解説していた。
2限目の最後は平井堅さんや亀田誠治さんの生演奏で、平井堅さんの「告白」。この「告白」もリフレインを用いたものであり、「わかれうた」のように一音一音をしっかりと音符に載せたものとなっている。
ー*ー*ー*ー*ー*ー
わずか30分ずつの番組であったが大変濃い内容のものであった。言葉ではなかなか伝わらないと思うので、もし再放送があったら是非見て欲しい。お勧め。
引用→
http://takuyaoikawa.blogspot.jp/2013/01/blog-post_7.html
「たとえば、じぶんがクルマだったとしたら、走りたいと思うんだ。」
ほぼ日_20130107
・たとえば、じぶんがクルマだったとしたら、
走りたいと思うんだ。
速く、すっごいスピードで走りたい。
わぁっとみんなをびっくりさせるような速度で、
走り回りたいと思うんだ。
ずっと、どこまでも遠くまで走りたい。
ガソリンの最後の一滴がなくなっても、まだ、
走り続けていたいと思うんだ。
たくさんの人たちを乗せて運びたい。
憶えたての歌を歌うこどもたちとか、
何百人でも乗せて走りたいと思うんだ。
たとえば、じぶんが歌だったら、
じょうずでも、へたでもかまわないから、
みんなに歌ってもらいたいと思うんだ。
たとえば、じぶんが野うさぎだったら、
地面にいっぱい穴をほって、いっぱい逃げたり、
いっぱいはねたり、いっぱいこどもつくったり。
野うさぎっぽいこと、いっぱいしたいと思うんだ。
たとえば、じぶんが生まれたての人だったとしたら、
なにができるのかわからないままに、
できることを探したり増やしたりしながら、
なにかやらせて、なにかやらせてと動くんだろうな。
クルマでも、歌でも野うさぎでも人間でも、
できることはぜんぶやったなぁと感じるのが、
いちばんのあこがれだよなぁ。
このからだを、このこころを、この知恵を、
この思い出を、このいのちを、
まるまるまるごと使い切れたら最高だよな。
できるかもしれないことは、したい。
できることは、もっとじょうずになりたい。
生まれたての人のようにね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生まれたての人だったとき、ものすごく生きたがってたね。