「ストレス歓迎」の姿勢。

・つらいことや、悲しいことはストレスになるけれど、
 うれしいことや、めずらしいことなんかもストレスだ。
 とても簡単に言えば、息をするようにできること以外は、
 なんでもストレスになるということだ。

 ストレスがあると、それに対応しなくてはならない。
 新しい対応をするとなると、それは疲れるに決まってる。
 じゃ、ストレスはないほうがいいのかと言えば、
 まったくそんなことはなくて、
 温室でぼーっとしているようなことを、
 人は望んでなんかいない、というのはご存知のとおりだ。
 ストレスがほんとうにいやだったら、
 いじわるに言えば、死人を見習うしかない。

 疲れるからいやだの、めんどくさいだの、
 もういろんなことしたくないだの、寝ていたいだの、
 不平だか不満だかみたいなことは、
 大人になると口ぐせのように言ってるものだけれど、
 ほんとうにそういう状況になったら、
 気持ちがおかしくなるほどバランスを崩すだろう。

 人を愛しても、人に愛されてもストレスはかかる。
 引っ越しをしても、転職をしてもストレスはかかる。
 うまいものを食っても、まずいものを食っても、
 スポーツをやっても、スポーツ観戦しても、
 なにかしらでも環境に変化があれば、
 すべてストレスがかかるものだと、ぼくは考えている。
 「ストレス解消」とか言われるようなものごとは、
 すべてが、「目先を変えたストレスのもと」である。

 と、こうして考えていくと、逃げたら負けだなと思う。
 「ストレス歓迎」の姿勢でいることが、
 人生をたのしくやってく方法のような気がしてくる。
 悲しいだとか厳しいだとかも「歓迎」してしまう。
 薄味だったり、淡いストレスも慈しむように歓迎する。

 ストレスから逃げようとすると、重くのしかかるからね。
 両手を差し出してにこやかに迎えに行く。
 あとは、あれだな、睡眠時間をケチらずにとること。
 そして、なるべくちゃんと食うこともセットだろうね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
久しぶりに家でのんびりしてて、思いついたことでした。

via ほぼ日

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