いまにして思えば、なにを考えていたんだか、
「ぼくには、とりたてて不幸がない」
ということを、じぶんの弱みだと思ってる時代があった。
それは、同時に、
「ぼくには、とりたてて誇れるものがない」
ということを意味しているのもわかっていた。
どっちつかず。
中間のところにいて、目立たない。
ふつうである。
平凡である。
なまぬるい。
‥‥そういうことにコンプレックスを持っていた。
平板で、山も谷もなく、危険もなく、劇的でないのだ。
他の人が見て、気の毒でもなく、うらやましくもない。
そのことに耐えられないとか、思っていた。
いや、正直にいえば、それをテーマとして発見していた。
ふつうすぎて、訴えたいことなんて見つからない。
つまり、テーマなんか持ってない不安が、テーマだ。
そういうことを、漠然と考えていた時代があった。
誰のことでもない、ぼく自身のことだ。
いま、そのころのじぶんに会ったとする。
そしたら、ぼくはなにを言うだろうか。
「めんどくさいやつだ、でもじぶんだからしかたない」
そういう思いから、はじまるのかな。
「じぶんでやったことが、なにもないんだから、
なにもないと感じるのは、あたりまえのことだよ」
と、ほんとうのことを言ってやっても、
理解してもらえないような気がする。
「ふつうで平凡なりに、なにがやりたいの?」
と質問しても、ごちゃごちゃ理屈を言いそうだ。
ああ、じぶんのことながら腹が立つけれど、我慢する。
「どうやって、食っていく?」
そこからしかはじまらないような気がする。
あるいは、家族を「どうやって食わせていく?」。
若いぼくからしたら、いちばんいやな質問だったろうな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんばかり見つめていても、じぶんは見えませんでした。
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